2025.09.30
- 【シンガポール】森・濱田松本法律事務所 アジアニュース/第119回「詐欺対策法の施行」
- 【シンガポール】森・濱田松本法律事務所 アジアニュース/第119回「詐欺対策法の施行」
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◇シンガポール
シンガポールではここ数年、詐欺関連犯罪の急増が社会問題化しています。シンガポール警察の統計によれば、2023年の詐欺件数は前年比で約46%増加し、刑法犯罪全体の約42%を占めるに至りました。特に、フィッシングSMSや偽装バンキングアプリを通じた口座乗っ取り被害の増加・重大化が顕著であり、数百万シンガポールドル規模の損害が多数報告されています。
既存の法制度の下では、銀行や警察が「怪しい口座」に対して直ちに取引を止める権限を持たず、詐欺グループが資金を素早く移動させてしまうケースが後を絶ちませんでした。このため、被害者が口座凍結を求めても、裁判所手続を経る必要があり、実効的な救済に結び付かないという課題がありました。
こうした背景の下、政府は2024年半ばから詐欺対策強化策を検討し、2025年1月に詐欺対策法(Protection from Scams Act 2025:「本法」)を制定し、同年7月1日に施行しました。本レターでは、本法の概要及び実務上の留意点等について紹介いたします。
1.本法の概要
本法の柱は、警察に対し、裁判所手続を経ずに、詐欺に関連する資金の流れが疑われる銀行口座に対して口座凍結命令(Scam Account Freeze Order:「SAFO」)を発出する権限を付与した点にあります。SAFOの概要は以下のとおりです。
(ⅰ)凍結期間:初回30日間、かつ期間満了前に更新申請を行うことで、最大5回まで更新可能(最長150日)。(ⅱ)対象口座:詐欺に利用された疑いのある口座、又は詐欺被害者名義の口座。
(ⅲ)申立手続:被害者本人も、詐欺被害を理由に凍結を警察に申し立てることが可能。
(ⅳ)異議申立:口座名義人は、凍結の解除を求めて異議を申し立てることができる。裁判所による救済手続も用意されている。
(ⅴ)濫用防止措置:不当な凍結を避けるため、命令発出は「合理的な根拠に基づく疑い(reasonable suspicion)」が条件とされ、また金融機関には適切な通知義務・記録義務が課される。
2.金融機関への影響
本法の施行により、金融機関は警察の命令に即応するための新たな運営体制の整備が必要になると思われます。具体的には、以下のような対応が必要となります。
・内部プロセスの整備:SAFOを受領した際の担当部門の特定、即時の口座凍結処理、期限の管理。
・顧客対応:凍結命令に伴い顧客から苦情や異議申立が寄せられることが想定されるため、FAQ整備や説明体制の構築を行うこと。
・警察との連携:命令通知の受領から実際の執行までの手順を明確化し、報告義務に備えた文書管理体制を整えること。
・契約関係への影響:口座凍結に伴い、貸付契約・決済契約の履行遅延が生じる可能性があるため、契約上の責任範囲を整理しておくこと。
3.日系企業への実務上の留意点
本法は、シンガポールに現地法人や金融子会社を有する日系企業にとっても、以下のような影響があると思われます。
・日系金融機関:シンガポール支店・現地法人は、SAFOへの対応マニュアル策定が必要と考えられます。また、誤凍結によるreputational risk(信用リスク)も懸念されるため、顧客説明方針を整備することも考えられます。
・一般事業会社:現地従業員の給与口座や企業口座が詐欺の巻き添えで凍結対象となるリスクに備え、取引銀行との連絡体制や社内対応プロセスを確認することが推奨されます。
・日本本社との連携:グループ全体での詐欺対応方針を統一することにより、グローバルなコンプライアンス体制を確立することも考えられます。
4.今後の展望
本法は、シンガポールの刑事司法制度におけるスピード感を補完するものであり、ASEAN諸国の中でも最も先進的な詐欺対策スキームの一つと評価されています。本法の導入により、シンガポールは「詐欺被害抑止のモデル国」として注目を集めていますが、運用面では誤凍結への対応や中小金融機関への相応のコスト負担等、一定の課題も残ります。政府は、シンガポール金融管理局(Monetary Authority of Singapore)及び警察と協力し、ガイドライン策定や実務的FAQの発表を予定しており、今後の運用実績を踏まえた修正も見込まれるため、引き続きその動向に注意が必要です。
本記事掲載URL
https://www.morihamada.com/ja/insights/newsletters/124406
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- 【掲載元情報】
- 森・濱田松本法律事務所アジアプラクティスグループ 制作