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2013.10.16

その他のアジア【アジア】アジア通信/第23回 フィリピン編① これまでの経済停滞の状況・原因
【フィリピン】アジア通信/第23回
今回からはフィリピン編です。東南アジア諸国の経済成長から取り残されてきたフィリピンですが、近年注目を集めつつあります。今回はこれまでのフィリピンの経済停滞の状況・原因について述べていきます。

筆者が初めて訪れた外国はフィリピンです。1988 年のことでした。
マニラ市内で観光バスを降りると、夥しい数のフィリピン人に取り囲まれカネをせびられる、小学生ぐらいの男の子が白昼堂々とタバコを吸っている、そんな貧困と荒廃の風景が目に飛び込んできました。
当時の日本では、頻繁に、フィリピン絡みの報道等があったと記憶しております。
某大手銀行の資金を横領した同行女性行員のマニラへの逃亡事件(1981 年)、フィリピンの危険スラム地帯を舞台にした映画「海燕ジョーの軌跡」の公開(1984 年)1、マルコス元大統領のアメリカ亡命(1986 年)、某大手商社フィリピン支店長誘拐事件(事件発生1986 年11 月~釈放1987 年3 月)など。また、日本中あちこちにフィリピンパブがあり、当時の日本人のフィリピンに対するイメージは一般にネガティブであったといえるでしょう。

経済面では、戦後直後、フィリピンはアジア全体で見ても最も先進的な国の一つであった2」そうです。
しかし、今では、フィリピンは、経済の面で、他の東南アジア諸国に後れを取っています。
フィリピンは、豊富な労働力を有すること・英語が公用語であること・教育水準が低いわけではないこと(大学進学率28.7%)等、他国に比べても優位な要素を持っているにもかかわらずです。

そんなフィリピンですが、近年、脚光を浴びつつあります。特に、コールセンターやBPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)等のいわゆるICT 産業の躍進が著しく、この分野の先進国インドに次ぐ規模を誇るに至っています。
そんな中、日系企業のフィリピンに対する関心も高まりつつあり、参入も相次いでいます。ユニクロも今年の6 月にマニラに初出店しています。また、フィリピンの不動産投資に対する関心も高まっています。
    
1. 国土・人口

<フィリピン地図>

インターネットから転載

フィリピンの人口は約96 百万人です。うち、首都マニラが所在するルソン島(以下の地図ご参照。面積約10.5 万平方キロ)の人口は約44 百万人です。
フィリピンはとても若い国といえます。フィリピンの生産年齢人口3は、2010 年時点で57 百万人、2030 年における予測値は82 百万人と長期間にわたる増加が予測されています(以下のグラフ)。

 <フィリピン地図 拡大>                   <フィリピン 生産年齢人口推移>
     

インターネットから転載                     2010 年国連資料より

2. 経済停滞の原因 ―タイとの比較―
(1) 経済規模・豊かさ
まず、1980 年の数字を見てみましょう。同年の名目GDP は、フィリピン約3.2 百億ドル、タイ3.2 百億ドルです。同年の国民一人当たりの名目GDP は、フィリピン685 ドル、タイ683 ドルです4。約30 年前は、豊かさにおいて、フィリピン・タイの間に大きな差はありませんでした。
次に、直近の数字を見てみますと、2012 年の名目GDP は、フィリピン約25 百億ドル、タイは約36 百億ドルです。同年の国民一人当たりの名目GDP は、フィリピン約2,600 ドル、タイは約5,700 ドルです5。経済規模・豊かさにおいて、フィリピンは、タイに及びません。フィリピンの経済が停滞していたと言われる所以です。では、何故、このように差がついてしまったのでしょうか。

(2) 経済成長率
以下は、フィリピンが後れを取ることになった約30 年間、1980 年から2011 年までのフィリピンとタイの実質GDP 成長率の推移です。
グラフのコメントは主にフィリピンに関するものです。また、グラフ下の欄外に各期間のフィリピンの大統領名を記載しています。
<フィリピン・タイ実質GDP 成長率推移 (単位:%)>


ジェトロ アジア研究所資料を基に筆者作成

タイと比べて、特徴的なのが、97 年のアジア通貨危機以前の成長率です。フィリピンの経済成長率はタイと比較して著しく低くなっています。以下に97 年以前のフィリピンでの出来事を時系列で見ていきましょう。
なお、以下の記述は、「アジア経済読本 第4 版」(東洋経済 渡辺利夫編2009)を基にしております。

① 1983 年 ベニグノ・アキノ上院議員暗殺 同年の対外債務危機
フィリピンは、83 年以前にも、いくつかの経済面でのつまずきを経験していますが、特に、タイに、遅れをとる発端となった事件が、ベニグノ・アキノ上院議員暗殺事件に端を発する対外債務危機です。
当時のフィリピンは、海外から借り入れた資金で国内の投資を行っていました。投資対象は、外貨を獲得する輸出産業ではなく、インフラ投資が対象でした。対外債務は膨張を続ける一方で、その返済原資を獲得する輸出産業が発展しない、そんなアンバランスな状況が続いていたのです。
そのような状況下、マルコス大統領(当時)が、最大の政敵ベニグノ・アキノ上院議員を暗殺する事件が起きました(1983 年)。この暗殺事件がきっかけとなり、フィリピンへの投資が引き揚げられ、また、新規の投資が激減することになりました。トヨタ自動車も、1984 年に一度フィリピンから撤退しています(88 年に再進出)6
IMF は、フィリピン救済に乗り出しますが、その条件は、緊縮財政・増税・経常収支赤字の削減等の総需要の抑制策で、この条件を受け入れた結果、フィリピンの成長率は、83 年1.87%、84 年マイナス7.32%、85年マイナス7.31%と大きく落ち込むことになりました。

② 緊縮財政実施による景気後退
マルコス政権崩壊の後のコラソン・アキノ大統領就任期間中(86 年~92 年)にも、フィリピンは大きな経済危機に見舞われます。コラソン・アキノ大統領の就任期間の後半には、財政赤字の拡大、国内高金利、経常収支の赤字により、IMF から緊縮財政を要求されることになりました。その実施の結果、経済成長率は、91 年にマイナス0.58%、92 年に0.34%に落ち込んでしまうことになりました。
  
以上①②の83 年の対外債務危機以来10 年に亘る、経済の低成長期間を構造調整期間と呼びます。
次回は、この構造調整期間の状況について説明していきます。


※「アジア通信」過去記事は 国別情報一覧 に掲載しています。

1  1984 年に公開された映画。フィリピンに逃亡した沖縄のヤクザの青年を時任三郎が演じた。
2  外務省 国別データブックより
3  生産年齢人口:15 歳以上64 歳以下人口。生産・消費の中心的な担い手となる人口を意味する。
4  以上国連資料を基に筆者計算
5   以上ジェトロ資料より
6  トヨタ自動車ホームページより

【掲載元情報】
山田ビジネスコンサルティング株式会社 専務取締役シンガポール支店長 東 聡司
[略歴]
山田ビジネスコンサルティング(株)創業以来、日本国内の中堅中小企業の再生支援業務に携わる。
2012年1月~2月にかけて中国進出日系企業の経営状況を調査。
2012年4月のシンガポール支店長就任後はタイ・インドネシア・ベトナム等ASEAN各国に進出している日系企業の経営状況を調査。
経営の観点から日本企業のアジア進出をサポートする。

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