2013.09.18
中国【中国】中国通信/第2回 『中国の今と昔②』- 【中国】中国通信/第2回
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今回は、上海の日系企業とストライキの関係に着目し、「中国の今と昔」を考察してみます。
3. ストライキに見舞われる日系企業
中国においては有難くないことにストライキの発生率は日系企業が高いようです。それもこのようなトラブルは、はるか昔からあるようなのです。
1900 年代前半は、上海には欧米諸国が借り上げをした租界という地域があり、多くの外国人が生活をしていました。そこは中国の主権が及ばない治外法権の特殊な場所でもありました。この地に住んだ日本人は、多いときには十万人にもなったのですが、中国人やその他の外国人との交流はそれほど盛んではなかったようです。
特に、1915 年に日本が対華21 か条要求を出し、中国における日本の権益を拡大しようとするナショナリズムが強まるとともに、上海において日本は突出した存在となっていったようです。
そのような中、1925 年5 月に日本人経営の紡績工場(内外棉会社)での日本人による中国人労働者殴打事件から起きたストライキに端を発して全市規模のゼネストが発生しました。日本と中国のナショナリズムが衝突し、その後は、上海事変(1932 年1 月)、日中戦争(1937 年7 月~1945 年8 月)に突きすすむことになりました。
日中戦争後の日中国交回復を経て、1990 年代以降、日系企業の進出が盛んになり、このような悲しい歴史が風化したと思われた、2005 年にはカネボウ化粧品で日本人経営者に反発して大量の出勤拒否が発生したことが報道されています。戦前は売上で日本最大級の企業のひとつであり、上海を大根拠地としていたカネボウがストライキの洗礼に会ったのです。
4. 戦前から続く閉鎖的なカルチャー
また、2013 年には上海で25 年の歴史を持つ日系企業がストライキの対象となりました。その原因として、マスコミや識者は企業活動だけに着目し、日系企業の現地化対応の遅れや経営のまずさにあると指摘するのですが、はたしてそうでしょうか。年月を経ても、日系企業でストライキが繰り返し起こるのは、日系企業の持つ閉鎖的なカルチャーが過去と変わっておらず、色々なところでコミュニケーションの断絶や摩擦を起しているからではないでしょうか。それゆえ国際都市の上海でも根底では受け入れられていないのではいかと思えてなりません。
日本と中国は文化的には一衣帯水の関係でありながら、全く、それとは逆の現実があることを見逃してはならないと思います。
他の外国から見れば、同じアジアの台湾系企業でも韓国系企業でもトラブルは多いのに、何故、日系企業は上手く処理できないのか不思議ということにもなります。「歴史認識」もさることながら、日系企業は、自分達のカルチャーの特殊性も認識して、決して先人の轍を踏む事のないように、周到な準備をして中国で活動をすべきであると考えます。
次回は、上海ではどのようにして、この厳しい環境で日系企業が奮闘し困難を克服しているかをご紹介いたします。
- 【掲載元情報】
- 山田ビジネスコンサルティング株式会社 中国事業部 部長 宮田 顕
- [略歴]
□2008年3月~ <山田ビジネスコンサルティング㈱>
□2005年4月~2008年 <大手電子メーカー 中国現地法人 総務部長>
総務部長として、約4,000人の工場の総務・人事・当局交渉・US-SOX法対応等に従事。
合計17年に及びアジア・中国の海外拠点、現地法人に勤務。
□1977年~2005年 <大手都市銀行にて国際業務に従事>
シンガポールにて貸出、資金・為替・デリバティブ等取引、主計企画業務に従事。
上海駐在員事務所長、北京日中合弁リース(銀行と中国対外経済貿易合作部との合弁企業)副社長として中国駐在。
中国進出日系企業支援、同行上海支店開設や中国系企業とのリース取引に従事。





